毎日自殺念慮とともに起きて走馬灯のような嫌な思い出に涙を流しながら床につくことを十数年続けてきた。私は自分を助けようとはせずに正常な人と同じように受験競争を突破し社会生活への希望を将来の夢をやりたい研究をという無遠慮な質問に笑顔で目を見て回答することを強いてきた。結局何がほしいのかわからない。***さんと居るときだけは温かい日差しと鳥の鳴き声車の走る音すべてに身を委ねられる。イヤホンなしに。「卒業したら働くと思っていた」と言われ「そんなわけない」と浅はかな返事をしたのはいままで見栄を張っていた分の回収をせねばならないという、さらなる見栄の堆積でしかないのに。いつまで将来のことを考えていればいいのか、いつまで後悔しないようにいまを生きればいいのか、その時の幸せのために息を吸っても許される瞬間があるのか、皆んなはどう考えているのかわからない。でも確かに、姫路から3時間電車で肩を並べたり、夕食に悩みながら共に買い出しをする瞬間、朝起きると自分以外の体温で布団が暖かかった時、苦しい朝のことを考えずにいられたと思う。